ジョーカー

ペルソナ5 The Royalを始めた。

その直後にJOKERを観た。

ペルソナに関してはまだ全然全体像が見えないけど、

大衆に支持される悪役を生み出すのは

いつだってそんな大衆を生み出した環境なんだろうなとなんとなく思った。

ムーブメントは発案者ではなくフォロワーによってこそ起こる。

話上手より聞き上手。

 

JOKERを観てから駅の中を歩いていると、自分の中の「あ、これキレそうだな。JOKERだったらJOKERになるぞ」というポイントがめちゃくちゃ多いことに気づいた。

気をつけようね。

寝る奴

僕が睡眠時無呼吸症候群である可能性が高くなってきた。

睡眠時無呼吸症候群とは、睡眠時に呼吸してないっぽいぞというやつだ。

寝る際に、手に血中酸素濃度と脈拍を測る装置を着けて数日間過ごすと、その血中の酸素の少ない時間から「こいつ、たまに呼吸してないな?」というのが分かるらしい。

まだ本検査は済んでいないので確定ではないが、

たぶん僕が睡眠時無呼吸症候群であろうという証拠を突きつけられて、僕は今、割とポジティブな気持ちである。

 

まず一つ目に、症候群(シンドローム)という響きが結構好きだからである。

sleep apnea syndrome。

うーん、かっこいい。

今のところ、ピーターパンとsleep apneaの2つの症候群持ちなので、もう一つ手に入れたいな、症候群。3つ並べると座りいいし。

 

二つ目は、己を間接的に肯定するための外的要因を得たからである。

現代は自己肯定できた方が生きやすい、これは間違い無いだろう。

そしてこの自己肯定の方法は二つあって、一つは自己に起因する自己肯定、例えば逆上がりできたとか何かで一位になったとかを自分で凄いと思えること。もう一つは他者に端を発する自己肯定、つまり褒められることの二つがある。

今回の僕のポジティブさは前者、自己に起因する自己肯定に位置する。しかし少し特殊だ。名付けて『自己に起因する自己否定による現状並びに自己肯定』だ。

平たく言えば「病気のせいでダメダメなんだから、僕が悪いわけじゃないししょうがないよね」ということだ。しょうもない思考だけど、思ったより晴れやかな気持ちになったところを見ると、すがれるものを欲しててそれを見つけたというところだろうし、まぁよしとしておきましょう。僕が悪いんじゃないし。

そして最後に、悪いところが判明したということ。今まで漠然と何かが悪かったから動き辛かったけど、病気だと分かれば大体お金を払えば治るのだから、真っ暗な僕の空に希望の光が差したみたいなもんですよ。やれ嬉しや。

頑張って生きるぞー。

サブスクリプション

僕はAmazonプライム・ビデオに加入している。Netflixも見ることができる環境にある。

しかし音楽系のサブスクリプションサービスには登録していない。

以前はYouTubeのものをお試し登録していた。その際、あのアーティストはこんなアルバムも出してたのか、サジェストされたこの曲良いなと思うことは結構あった。サブスクが良いサービスであることは分かる。知らない曲を、知らないアーティストを知ることができる良い機会だ。

対して僕の音楽の聞き方は、どこかで聞き知った有名な曲が入ってるアルバムをレンタルしデータをパソコンに取り込む、Sonic Stage(Sonyが出していたWALKMANへと音楽を取り込むためのアプリ)が隆盛を誇った頃のやり方を未だに続けている。

自分の”持つ”音楽への愛着が湧くし、シャッフル機能を使っても、適度に忘れていた曲などが流れて嬉しい気持ちになるし、周りを見渡しても好きなものばかりというのは心地よいものなので、このやり方を貫いているのだが、

知らないものもまずは聞いてみよう、知らないものを好きになろうという気概がない、そういう性格ゆえ前時代のやり方から逃れられないのだと気付いて悲しくなった。

なんとかしたいぜ。

天気の子

なんてことない映画の予告編だけで二回泣いた。

あまりに情緒不安定すぎる、もしかして僕は大きい音にビビってるだけなのか……?

 

天気の子を観てきた。

新海節がよく出てるなー、と思った。

 

選択することとそれに伴う責任について、なんとか救いようのある雰囲気を出しながら描いていて、

確実に流行らせたい映画のテイストをそういう風な構成で作るのはなかなかすごいことだなと思った。

 

ひなの手を組む行為が祈りなら、

ほだかの銃もまた祈りだなと思った。

ひなは空に祈るけど、

ほだかは銃口を向けた人に祈る。

どっちの発砲も女の子を救いたいという気持ちに基づいてる。

銃の存在が”天気を操る”とは別のベクトルで非現実的で、なんで登場するんだろうと思ったけど”大きな力”を表す舞台装置なのかもな、と考えた。少年の全身全霊の祈りを祈りで終わらせないために必要な機構。

 

東京が雨に沈んだシーンで終わってたら完全名作だったな。

 

ていうか3年後の東京、雨止んでなかった?

ほだかとひなが会う時だけだったのか?であれば須賀とかなつみからひなに「ほだかが来るよ」っていう連絡があって、それに合わせて晴れるように祈っていたってこと?

それとも三年間しか降り続かない雨だったのか?

であればそれは文句なくハッピーエンドだけど。

そもそも降ってなかったのか……?

染めた。桜木みたいな赤だ。

美容室を出る頃にはもう夜になってた。

電車の窓にはYシャツの大人たちとそれに囲まれてる赤髪にYシャツの自分が映って、

思っていたよりまだ自由であれるという安堵と嬉しさがあった。

四畳半神話大系

アニメを観終わった。面白かった。

「私」の声って神谷さんだと思ってたけど違うのね。

不可解な現象が発生して一旦はそれをそのまま置きっ放しにするけど、後のシーンでその理由を解消して「ああ、あれはそういうことか!」と思わせるというやり方が森見登美彦は多いように思う。楽しくていいね。

作中で「私」は自分の幼少期の可愛さを光源氏を引き合いに出して例えたが、作中のヒロインが源氏物語に出てくる「明石」という名前であることと関連を見出すのは私の考えすぎだろうか。

もはや明石の君がどんなキャラクターであったかも覚えていないが。

 

湯浅監督の作品が面白いのか、森見原作が面白いのか、夜明けを告げるルーの歌で確かめたいと思う。

漫画1

バイオーグ・トリニティ(完)、SOUL CATCHER(S)(完)、めだかボックス(完)、BEASTARS(13)、満天の星と青い空(2)まで読了。

バイオーグ・トリニティ、とても良かった。何が凄いってやっぱりあの書き込み方。漫画はさっと読んでしまう悪癖がある僕だけど、この作品には何度もページをめくる手を止めさせられた。業界で人気のシステム(ダブル主人公など)を上手に取り入れながら舞城王太郎の色もきっちり出ているところも良かった。

SOUL CATCHER(S)、良かった。途中で週刊少年ジャンプから掲載誌を替えたのでどうなったか気になっていたが、尻すぼみになって終わったりもしてなくて嬉しかった。基本的には吹奏楽部内の各パートリーダーに自分を認めさせる行程が物語の大半を占める作品。変化をしたがらないパートリーダー達に憎まれながらも「変わらなきゃダメだ」と主人公が押し付け通し、結局上手いこといってパートリーダーからの信頼を得るという構造を何回も見たので、僕としては何とも言えない気持ちになった。

めだかボックス、良かった。ジャンプで追ってたし、単行本でも一回は通し読み終わってるとは思うがまた読んでしまった。驚異的な記憶力はこういう時に便利だ、事件の犯人とかも忘れてるので。ジャンプで読んでた時、敵との戦いで使用したスキルを1ページに羅列するだけで戦闘描写をカットするという手法をやった後、ジャンプでの掲載位置がだいぶ上がったと記憶している。あの表現は面白かった。

BEASTAR(S)、面白いねえ。めちゃくちゃ王道の少年漫画という感じ。連載が終わってないのが嬉しい。

満天の星と青い空、良いねえ。いきなり地球から鉄がなくなった世界の話。同じ世界観の『何もないけど空は青い』(原作と作画も一緒)をついこの間読み終わって、その時から考えてたことがあって「西森博之は『強さとは何か』を長いこと考えてる作家だ」ということ。

『何もないけど空は青い』の時はギャグパートの顔が西森博之の絵だったからネームとかまで西森博之が切ってたんだと思うけど、『満天の星と青い空』は原作小説をコミカライズするような(バクマン。の亜城木夢斗の後半のやり方。あしろぎむと、調べず書いたけど正解だったらバクマン。好きすぎだな)形で書いてるので西森節みたいなものがなくて、その影響は良くも悪くも大きい気がする。