千と千尋の神隠し
帝国劇場で上白石萌音さん主演会を観てきた。
箇条書きで思ったことを書いていく。
・幕?の真ん中だけ空いて洞窟を抜ける
・ステージ中央と外側に装置がある。真ん中の装置は4面とも違う場面用の作りで、回転させて用いていた
・お父さんたちの豚顔のチープさ
・神々、再現度たけー
・走り方、映画っぽいけど小学生とは違うイメージ
・エレベーターの扉の動き回りがディズニーみたいで、練習を感じた。湯婆婆に首元引っ張られるシーンはどうしてたんだろう
・緑の饅頭がザコシショウみたい
・湯婆婆がカービィーのボスみたいになるシーン
・雑巾掛けをするシーン、意外と距離短いけど動きはミュージカルっぽくて良い
・多分ここらへんで、ペットの入りが潰れてた
・カオナシの動き、特殊生物で良い。顔を動かすときにガガッとブレる感じとか、あの体に対する足の細さとか。菅原小春さんだったらしい
・豚になった親を見た後のおにぎりを食べるシーン、表情が見たかった
・カオナシが千に薬湯の札渡すシーン分かり辛かった
・湯婆婆が上でロープ用意して注目を引いて下に投げるふりをして、下の人たちが持ってたロープを受け取ったふりをしていた
・名のある川の神が風呂から出ていくところ、ファイヤーダンスみたいでカッコよかった
・その後の総踊りみたいなやつも良かった、振り付け誰かしら
・りんと部屋で話をするシーンで前半が終わった、その前の名のある神のところで終わった方が良くない?と思ったけど、演劇はそういうものなのかもしれないとも思った
・後半の幕開け、真っ暗にしたことで世界に連れて行かれた感があった
・銭婆婆が千につけた式神がえらくしっかり張り付いたので、マジックテープか?と思った
・ハク、球場で勝った時のバルーンみたいなのと、雨の日の傘袋みたいなのと、くんちみたいなのの3体あって面白かった
・くんちのハクが三つに割れてそこから人間のハクが出てきて、その雑さに演劇の自由度を見た気がした
・カマ爺の愛のやつ、ハクにやる時は滑ってたな。カマ爺が歩くとき、タタリ神みたい。1人を5人とかで演じてるの面白い
・他の声は大体映画版と同じかってくらい似てたけど、坊だけ全く違って面白かった
・銭婆婆が現れるマット、広げきれてなかったけどそのマットが四角に切り抜かれてそこから現れたように見えたので、謎。撤収するときは元通りだったし…
・千とハクが落ちる穴、湯婆婆が現れた穴とかと兼ねられていて面白かった。穴を落ちる表現がかなり良くて、千を黒子が持ち上げてたんだけど、表現力って感じがした
・電車に揺られるシーン、千だけがリズミカルに揺れてて、人間だからってこと!?この列車は人生に例えてるから!そういうこと!?
・銭婆婆の家の街灯の踊り良かった
・場面転換して、坊が偽物だから取り戻しにいくとハクが言い湯婆婆がキレ散らかしながら幕が降りて銭婆婆の家に切り替わる場面、湯婆婆がキレてる最中で幕が降りつづけててすぐ場面が切り替わった感があって良かった。装置を動かす転換は時間がかかっていたので、その速さが新鮮だった
・坊たちの回し車がタタラ場スタイルになってた
・千がつける赤い糸のお守り、銭婆婆がみんなで紡いだって言ってて、映画よりみんな感があるなと思ったけど、引きで部屋の様子を見てたからだ。映画では回し車を夢中で回す面白さがあるのでアップになってたから、一連の作業だと感じづらかったのだ。これはセットを好きに動かせないという演劇の不自由さだろうし、監督の采配だとも思った
・2回目のフリーフォールはちょっと面白さが先立ってしまった
・知らなかったんだけど、坊しか元に戻らなかったんだ。なぜ銭バードは戻らなかったんだろう
演劇を見るのも多分初めてだったが、とても良いものを観たのだと思う。
規模が大きいほど装置に凝ることができるのだとすると、日本最大級の凝った装置が設置された劇場だったのだと思うが、なるほどすごかった。ワイヤー張ってそこをハクが通る仕掛けとか、薬湯下ろす装置とか。
しかし、1番感じたのは演劇の不自由さだ。アニメであれば空飛ぶものをワイヤーで吊るす必要はない。CGがあれば小型の動物も自然に動かせる。でも、ワイヤーで吊るしたり棒の先につけて動かしたりするし、紐でまっくろくろすけ繋いで引っ張ったり釜爺の体を5人で操作したりする。どうしてもノイズになるのではと思ったが、それも織り込んで観れたのは面白かった。不自由さをどう乗り越えるか、どうやって想像力で補わせるか、演劇は不自由さとの戦いなのかもしれない。これで慣れていけば弱虫ペダルの舞台も観れるようになるだろうか。
ともあれ、大変面白かった。名古屋福岡とまだまだ色々な会場で観られるようですので、是非。
別府温泉保養ランド
別府温泉保養ランドに入浴に来た。
この温浴施設の特筆すべき点としては紺屋地獄から直接引いている泥湯が挙げられるだろう。
泉質豊富な別府大分においてもなお貴重な性質の温泉である。
恥ずかしながらこの度初めて泥湯に触れる筆者は、怖さ半分、まあネタにはなるかという気持ち半分で、あまりポジティブな感情を泥湯に抱けていないのが本心である。
だがしかし、実際に入浴せずに毛嫌いするというのは、温泉に文字通り浴びるように入浴してきた自認のある温泉人のすべき行いではないだろう。
泥湯には肌の引き締め効果もあるようだし、気を引き締めて挑もう。
混浴あるらしいし。
現在、別府までの高速バスのチケットを往復分買うと、無料で亀の井バス2day乗り放題チケットがついてくる。
経営やっていけるの?大丈夫?色々あってやけになってる?
地獄の沙汰も金次第というが、別府の地獄はそんな拝金主義の地獄とは一線を画しているようだ。捨てる地獄あれば拾う地獄あり。ありがたくチケットを使わせていただく。
別府駅から亀の井バス42番に乗り紺屋地獄前で降りると、道路の向かいに「紺屋地獄 別府温泉保養ランド」の看板がある。
看板まで行き、左手に見える建物が目的地だ。
看板辺りから硫黄の臭いが漂いだすが、風呂に入る頃には慣れるので安心してほしい。
脱衣所を通り抜け、風呂場に入るとまずコロイド湯がある。
広々とした風呂に乳白色の温泉が満ちていて、久々の温泉らしい温泉に2時間ちょっとのバス旅で緊張した筋肉がほぐれていく。
この他滝湯や蒸し湯もあったが、今回は目的地へと気が急くあまり、入りそびれてしまった。
お目当ての泥湯に着く。
大きめの開放的なものと、少し小さめで森に隣接しているものがある。どちらも露天ではあるが、開放的な大露天と隠れ家的な小露天といった趣だ。どちらの風呂も円形に近く、円の半径を示すような形で背の高い木の衝立が設置してあり、木の柵で衝立の反対側の外縁まで仕切りが作ってあった。
なるほど、温泉を共有しているので混浴ではあるが、見られるのが嫌な人は衝立の方に留まっていれば見られずに済むシステムらしい。そして木の柵の方では男湯ユーザー、女湯ユーザー関係なく顔を見合わせながら話せるわけである。
初めて混浴の風呂を見たが、性差関係なく一つの湯船に浸かれることは、現代の性差への意識の変わり方とマッチする部分があって良い試みなのかもと思った。
筆者が泥湯を訪れたのは13時ごろで、案の定視界に入るのは男湯ユーザーだけだったが、奇妙な熱量みたいなものが感じられて面白かった。夜は8時まで入浴可能らしいので、恋人たちなどで入浴する際は暗くなってからがおすすめかもしれない。
肝心の泥湯だが、温泉の全てが泥というわけではなく、風呂の底に泥が沈殿しているという形であった。沼に浸かるような形をイメージしていたので一安心といったところ。
泥の質感は滑らかで、食べ物に例えると求肥に近い。試しに片腕にだけ泥を塗り、少し時間を置いて左右の違いを確かめてみると、確かに泥を塗った方の腕はツルツルになっている実感がある。タッパーに詰めて持って帰りたい。
風呂を上がり脱衣所を越えると畳敷きの休憩所があり、カップルや親子連れが思い思いにくつろいでいた。彼らの都会では見ない気の抜け方に別府に戻ってきた実感を得た筆者は、太陽が燦々と照らす別府の街へ亀の井バスでくだっていくのであった。
別府温泉保養ランド、入浴してみれば、なんのことはない、別府の気持ちいい温泉の一つであった。
混浴と聞くと行きづらいかもしれないが、夜や朝早くに時間をずらしたりして、みなさんも泥湯を試されてはいかがだろう?
ゲド戦記
引き続いている映画館でのジブリ上映にまたもやお世話になった。
もののけ姫は感想を書くのを忘れていたので、今度その気になったら書く。
ゲド戦記、皆さんは観たことがあるだろうか。
私は先ほどまでなかった。テルーの唄を学校の授業で歌ったくらいだ。
「暗い」「よく分からない」という前評判から敬遠しており、金曜ロードショーなどで流れていてもそのチャンネルを合わせることはなかった。
観終えた今、それらの評判は間違っていなかったと確信している。確かに暗く分かりづらい映画であった。
とはいえ映画自体が見所がなかったというわけではない。
ハイタカがトーチを掲げ馬を走らせるシーンはその表現に目を見張ったし、
ウサギのキャラクターに、その名前も含め好ましいものを感じたし、
テラーの歌い方。などなど心に残るところは多々あった。
その中で1番心に響いたのはアレンがテルーに諭されるシーンの言葉一つ一つだ。
未だに中学2年生の心を持っている人は是非観ていただきたい。
上記のような事も含めて考えたのは、監督は青年に向けてこの映画を作ったのではないかという事だ。
モラトリアムゆえの思想、消えない罪の意識、圧倒的無力感。
そういったものを抱えたジブリの主人公はあまりいなかった気がする。
私個人は青年期の真っ只中なので興味深く観ることが出来た。
皆さんも青年ならばぜひゲド戦記を観て青年青年してみるのはいかがだろう。
千と千尋の神隠し
表題作をレイトショーで観た。
現在東宝系映画館ではジブリ4作品のリバイバル(再上映)を行なっている。ありがたい。
本作はあまりに有名なジブリ作品だが、スクリーンでノーカットの映像を観るのは初めて、という人も多いのでは?私ももちろんその1人だ。
とにかく心に残ったのは「千尋、可愛くなっ」という点だ。
外面的な話である。
まずシンプルに顔の造形が整っていない。1番最後のトンネルの前で佇むシーンは、千尋の鼻の下の長さに「水木しげる作品の人間かよ」と思った。
そしておにぎり食べながら大口開けて泣くシーンでは口の中の食べかけのおにぎり見えてるし、空から落ちながら泣くシーンでは目から変な汁が上に流れていくし、足はちゃんと食べてるのか心配になる程細く少女的な魅力とは程遠い。
極めつけは序盤の千尋が驚くシーン。
見開いた千尋の右目は二重で、左目は一重まぶた(のはず)なのだ。
基本的に顔面は左右対象であるほど美しいとする風潮が残っている現代で、そこまでして映画の主人公を可愛くなく描く理由はなんなのだろう。
例えば、
千尋をアニメ的な普通の(判を押したような)少女として描くことを良しとせず、荻野千尋という1人の人間として描くために、包み隠さず描いたというのは理由として考えられるだろう。
あるいはシンプルに、スタジオジブリの偏執的な少女像へのこだわりという線もあり得るだろう。
僕には分からない。
でも一つだけ言えることは、大画面で観られたからこそ、キャラクターの表情にまで気がつくことができたということだ。あと千尋が自分の名字を間違えて覚えていることにも気づけた。
この期間のジブリ4作品は、他の作品より安い値段で観ることができる。
これを機に、懐かしの映画を観に映画館に足を運んでみてはどうだろう。
時勢柄、左右の座席は空けてあるので、気兼ねなく肘掛けを使うこともできるぞ。
志賀丸太
僕のヒーローアカデミアという漫画で、
ヴィランサイドの実験をする人の名前が志賀丸太で、
戦時中生体実験に用いられた人の俗称が丸太なので、わざとだ!名前を変えるべき!という意見が出た。以上が今回の騒動のきっかけらしい。以下は私の気持ち。
無知が罪だとしても貴様が断罪しないでくれ。常識がない人が生きにくいことが正しい世の中にしないでくれ。歴史を知ることは教養の範疇でしかなく、教養がない人を責めて自分が正しいと思う型に押し込めることを誇らしげに撒き散らさないでおくれ。
ポリコレに各種製作サイドが追いつけず、作品発表後に修正を加える事例が増えている。
それを窮屈そうだと感じはするが、別に窮屈さが悪いとは思わない。問題なのはなんなのだろうか。面倒臭いので文字にはしない。皆さんにも複数ある観点から考えてみて欲しい。
追記ではあるが、僕は正しいと思ってこれを述べているわけではないので、正誤の観点で僕を罵らないで欲しい。泣いちゃうから。
パラサイト
観た。
配役のちょうど良さ。展開の良さ。画面構成の良さ。
金持ちと貧民の対比だけに終わらない構図の展開のタイミングもちょうど良い。
主人公もその友達も同じ女の子を好きになるのTomorrow never knowsみたいだと思った。
ジョーカーに引き続き、社会の下層の人が抗っている話だった。今はそういうのが受け入れられやすい土壌なのかもしれない。上層は見えやすく、下層はなかなか見えない中で、どの層にいても自分たちの心配しかする余裕がない社会。誰もがそこに浸かっている自覚が薄らとある気がする。
リスペクトはマンセーの隠喩か?
ダソンはどう育っていくのかが気がかりだ。