ソラニン

別れる男に、花の名前を一つ教えなさい。花は毎年必ず咲きます。

 

登校最終日の高校の図書室で、こんな一文を見つけた。

失恋の悲しみから逃がれたくて、本棚を端から読み漁っていて見つけた文だ。

作者は昔の文豪だったように思う。

エモいこと言ってくれるやんけマジ卍〜と思いながらとっぷりと暮れた窓の外を眺めると、下級生たちが部活に爽やかな汗を流しているのがぼんやりと見えた。

こんな遅い時間だ。勉強から解放された三年生たちは脱兎のようにこの学び舎を抜け出し、カラオケやらファミレスやらクラブやらへ向かっただろう。つまり今この学校で一番偉いのは私。

そう思うと楽しくなってきたので、本でトランプタワーを建築することにした。

ライトノベルは本の縦横が揃っていて組み立てやすいが、重ねるとふにゃふにゃと揺れ出す。現代っ子のようだ。

高みを目指すならハードカバーか京極夏彦に限る。

調子よくぽんぽんと並べていたが、

「よく十段まで積めたな」

バサバサと音を立ててタワーが崩れ落ちる。本を置く手が震えたせいだ。

声をかけてきた男に不機嫌そうな声を作って答える。

「邪魔がなければ天井まで届いたんだけど」

「どっちにしろ司書が来て止められてたよ。これだけ人集めてるんだし」

言われて始めて、後輩たちに遠巻きに囲まれていることに気付いた。

「まさか、登校最終日だから私に会えなくなるのが寂しくてみんな集まってきたの?」

「図書室の本で天井まで届くトランプタワーやってる馬鹿を見にきたんだろ」

「うるさいな」

散らばった本を拾い集めて棚に戻していく。

「トランプタワー続けないの?」

「もう帰る。司書来るんでしょ」

図書室の主として名高い男の言ったことだ。信憑性だけはある。

「職員会議がいつも通り進んでたらね」

こういうところ、誰かのスケジュールを観察と考察で導き出すようなところが気持ち悪かったんだ、と思い出してまた嫌いになれた。順調に嫌いになれている。嬉しい。

もう片付けは終わりそうだったので、勝手に手伝いだした図書室の主に任せて帰ることにした

「じゃあ後輩たち、こんな場所にこもってないで青春しろよー」

「「「「「「はーい!」」」」」」

「え、ちょっ、待てって、お…」

ぴしゃんっ。

若者らしい元気な返事を背中に受け、扉を閉めた勢いのまま校門へと早足で歩を進める。

 

大学は県外の国立大学に決まっているが、学びたいことがあって選んだわけではないし、初めて一人暮らしをするということもあって正直怖かった。

そんな不安を打ち明けたくて、私の大学合格発表の日にサイゼに来てもらったら、

「大事な話があるんだ」

と言って卒業式にも出ずに遠くへ行って働きだすことを私に告げてきた。よく分からないが、植物の研究をしに行くらしい。インカといって、後で調べたら飛行機に乗っても10時間かかるような場所だった。

それを聞いてなぜかキレた私は

「高3なんて馬鹿だし餓鬼だし猿だし、私も君もまだ若いし、遠距離恋愛なんて柄じゃないから」と別れを言い放って、何も聞かずに席を立った。抱えていた不安はもちろん、大学に受かったことも報告できなかった。

それから1週間、チャートも便覧もすぐに捨てた。定期入れの遊園地のチケットだって、二人で撮ったプリクラだって庭で焚き火して焼いた。もうカバンの中には何もない。未来への希望とかも現時点では湧いてこない。

 

校門を通り抜ける直前に、後ろから声が聞こえてきた。

「ちょっと……待ってっ……俺に、会いに、来たんじゃ、ないのっ……?」

急いで私を追いかけてきたんだろう、軽く息が上がっている。ざまあみろと思って少し嬉しくなる。

「君に会いに行くわけないでしょ。今日はたまたま本を読んだ後トランプタワーを建築したくなっただけ」

「でも、後輩たちが『あの先輩ここ1週間毎日図書室に来てドミノとかピタゴラスイッチ装置作ってて迷惑だった』って言ってたよ」

「……」

ドミノに関してはみんなで協力して校長の顔作ったのに。

「この1週間、準備で全然学校に来れなかったから、ごめん」

「だから別に会いたかったわけじゃない。もしそうだとしたら別れた後どうしても会いたくて図書館に通い詰めたヤバい奴ってことになるでしょ」

「ほんとだ、ヤバいね」

「だから違うって言ってるでしょ!……ねえ、別れる男に、花の名前を一つ教えなさい……」

「花は毎年必ず咲きます。川端康成でしょ?」

私の言葉を引き継いで彼が言った。

「え、そ、そう。それ。その人」

「ロマンチックだけど、勘違いして花言葉教えちゃう人結構いるよね」

手の平にマジックで書いた花言葉『情け深い』を握りしめた。なんだかんだこいつに合うと思って選んだけど、相変わらず小うるさい奴め。

「なに、教えてくれるの?」

「君なんぞにはジャガイモがお似合いだよ」

「普通に生きてたらジャガイモの花が咲いてるところ見られなくない?」

「一生私のことなんか思い出さずに生きていけ、ってメッセージだよ。ありがたく受け取れ」

「はいはい、ありがたく頂戴します。じゃあ気をつけて帰ってね」

「……じゃあね」

「あ、合格おめでとう。卒業もね、おめでとう」

「え……」

「いろいろ不安かもしれないけど、大丈夫だから」

「……ばいばい」

校門を通り抜けて登り坂を進んだ。陽も落ちて、辺りは暗いはずだけど、何となく明るく見えた。

 

当然彼は卒業式には来ず、数日後私は一人電車で北海道大学へと向かった。

国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。

これもどっかの誰かの本で読んだ表現だけど、目の前がパッと開ける感じがして好きだ。

荷物を新居に置いて、学食へ向かいカレーを食べる。美味しかった。なんと言ってもジャガイモが美味しくて、私は泣いてしまった。

先輩であろう方々が、どうしたの、と声を掛けてくるが泣き止むことができない。

ねえ、言葉って呪いで、君への思いも言葉も全部私に返ってくるの。

ジャガイモの花は珍しくても、ジャガイモは世界中どこでも食べるだろうから、食べる度に私を思い出して欲しかったの。焼いて、茹でて、蒸して、揚げて、マッシュして食べる度に私のことが頭から離れなくなっちゃえって思ったの。それなのに私の方が思い出すようになっちゃった。

涙としゃくりあげる声は止まらなくて、遠巻きに見てくる先輩方の間をすり抜け、窓口のおばちゃんに二杯目のカレーを頼んで、小鉢のポテトサラダも取って席に着き、この呪いが解けるよう祈りながら手を合わせた。

 

登校最終日の校門で彼女を見送った後、僕は北海道の叔父がいる植物研究のラボへ向かった。家計が厳しいとかではなく、とっとと実践的研究に足を進めたかったからだ。

叔父からは、真面目すぎる、大学行って彼女と遊べばいいのにと言われたが、遠距離は嫌だと言って振られた話をしたら何も言われなくなってしまった。真面目と言えば、植物の勉強の為に通い詰めた図書室でも、司書の先生から真面目すぎる図書室の主って呼ばれたりしたっけ。

叔父のラボでは特にインカの目覚めっていうジャガイモの品種改良に力を置いているらしい。僕がインカに留学に行くと誤解してた人がいたけど、インカの目覚めは北海道のブランドであって、インカとの縁は全くないはず。

彼女は、ジャガイモの花なんか普通見られない、って言ってたけど、むしろジャガイモの花を見るのが商売になってしまった。

ジャガイモの芽に毒があるのは浅野いにおのお陰で有名になったけど、そこから咲く花にも毒があるんだろうな。

ジャガイモの花を見る度に、彼女を思い出して、息が苦しいような気持ちになる。

彼女は秘密主義で、僕には何も教えてくれなかった。

だから、登校最終日、彼女が去った図書室で後輩が言ってた『どこかは知らないけど大学合格したらしい。でも進路が不安らしい』って情報しか未だに知らないけど(後輩に言うくらいなら僕にも教えて欲しかったけど)、

次たまたま会えた時は、どうかこの呪いを解いてほしい。とびっきりのジャガイモをプレゼントするから。