卒業

吐きそうだ。

ビールジョッキの一気飲みは腹が膨らんで良くない。残さず食べなさい、という母の教えもここではマイナスに働いた。あの頃はお腹いっぱいになったらどうしていたんだっけ。少なくともビアガーデンのトイレに籠ったりはしてなかったはずだ、惨めだ。

床のタイルはびしょびしょで、早く座り込んだ身体を起こすべきだとは思うが、身体はぐらぐらと前後に揺れるだけだ。個室内の床に散った水を吸って尻が冷えてきた。尻よりも頭を冷やしたい、便座に頭を突っ込もうか、そのためには便座を上げねば、と考えそれはできないと考え直す。まだ会場にはみんな残っている。そう考えると、ふつと力が湧いてきた。負の感情で育った木の実を千切って絞ったカスを口の中に入れたような、物悲しい感じだ。感情くらい過剰なまでの果汁を秘めていて欲しかったが、死に体の心ではそれも難しいのだろう。

便座に手をつき、もはや凍って地面とくっついたのではないか、というほど重い尻をあげる。会社に入った頃から比べ大いに太ってしまった。何もかもが悪くなってきている気がする。溜息を吐き、反動で身体を起こした。

 

今日も元気に、会社へ向かう。

通勤は40分かかる。家から最寄り駅まで13分、乗り換え駅まで15分、職場最寄り駅まで6分、駅から会社まで6分。

その時間に何をするのかというと、専ら耳にイヤホンをしてネットで漫画を読む。自分の成長の為に本を読むなど、とてもではないができない。始業時間まで少しでも思考を停止していたいのだ。始業時間を過ぎて頭が働いても、思考速度はかたつむりがコンクリートの壁を這う速さと似たようなものだが。もちろん、それより遅いという意味だ。

あの頃聞いていたJ-POPを聴きながら、会社最寄り駅の改札をポーンと鳴らし抜ける。新しい音楽を聴く心の余裕などこの生活にはないのだ。漫画は毎週更新されて皿に盛られた状態で出てくる。しかし、新しい音楽を聴くということは、夥しい量の冷凍食品が並んでいる中から一皿を選ぶということに似ていて、ひどく体力を使う。しかも、心の余裕がない人間は、何かを好きになることが滅多にない。好きなものがないから生きる気力が湧かず、生きる気力がないから好きなものができない、見事なスパイラルだ。抜け出す手立てはないものか。

会社のあるフロアにエレベーターが止まった。チキンレースのようにぎりぎりまで外されないイヤホンはあの頃の自分が好きな曲を流してくれていたが、もう外界とつながる時間だ。あの頃好きだったものを踏みつけてしか今を歩けない。あの頃築いたものをぶち壊してしか今に留まれない。あの頃の自分に申し訳ない、とかはないけど単純に嫌だなと思う。

 

日は落ち、窓から見える空はいつのまにか濃い藍色に変わっていた。会社を出た。どこにも寄りたくなどない、まっすぐ帰ることにしよう。昨日はビアガーデンだったし。そうだ、昨日は偉い目にあったのだ。トイレから席に戻った後も雑用に精を出し、ようやく飲み放題の時間が終わると思ったら、二軒目行きましょうなどと声が上がり、あれよあれよとスナックにまで連れていかれて、延々知らんお姉ちゃんと話させられたのだ。あんなものお金を払ってこっちが接客してるようなものだ、などと考えていると家に着いた。さあアプリで漫画読もっと。

 

という40歳になったら、いやだなあ。